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薬師寺
『尾張恂行・記しに「薬師堂内一畝御除地 往古丹羽五郎左衛門城址ノ巾 米‐内児ノ松ト云フ古本アリ、其ノ下二児宮アリ」とある。内出社本殿内ニ(児宮一宇造建 時二享保三戊戌年二じ一八)」A記された木札が保存されている。「尾張名陽図会」に「当行の中に観音堂と薬師寺ありて、其内に薬師堂の側に占松あり、この本の根に黄金を埋めてある由、朝鮮人来朝の時に伊勢川の橋を通りしに、朝鮮人があの松にかねが埋みある由、枝葉にあらわると云2 」とある。二の乍には薬師如来が安置してあり、厨子の中に 『尾洲愛知郡小(児)玉村 元ろく拾壱年寅十〜月古日 願主 尾洲』という書き付けがあり、この薬師如来は胎内仏であったという。薬師寺の敷地は丹羽五郎左衛門長秀の城跡と伝えられている。丹羽氏の祖先は武蔵国児玉覚で、斯波管領が吊張を支配していたころ、丹羽郡に入り、丹羽氏を名乗った。天文四年(一五三五)に丹羽修理亮長政の第〜子として、長秀が児玉に生まれた。彼は信長、秀吉に従い、武勇をあげ、天正一三年(。一五八五)に五十一歳で亡くなった。曹洞宗。

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